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んちゃって英語ガイド

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ハンプトンコートの庭

再びV&Aに。
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ラファエルカートゥーンとプラスターキャストを見て、
熊のプーさんとピーターラビットの原画を見ることが目的。
この美術館に来る度にため息がでる。
この美術館は好きな場所が多すぎるが、
カートゥーンとキャストコートは何時間でも過ごせる。

プラスターのキャストを欧州国家間で貸し借りする条約まで結んで、
教会や公共の建物が破壊破損される場合に備えて、そのキャストを保護しようとした。
建築・美術上で貴重な運動。
教会の塔の一部が、そのままこの美術館の中に保存・再現されている。
バイブルの物語を、文字が読めない人に理解できるよう描いたもの。
一つの画面に一つのストーリー。
あるいは巨大な円筒にスパイラルに描かれている。
聖書をもっと知っていたらもっと興味深いだろうにと、何の準備もしない。
各聖人が何を保護する存在なのか、いつも美術館に来てから思い出そうとする。

このキャストコートで目を引くのは石棺の鉄の蓋。

聖職者はパルピット、軍人は鎧をまとい、王侯貴族は,高貴な衣装で冠を戴いて。
それぞれが着ているものや持っているもの、
一緒に置かれた犬か聖書、杖。さらには衣装の柄や色。紋章。全てに物語がある。
夫婦で埋葬されている官の蓋はたいがいそれぞれが仰向けになっている。
でも一つだけ、ドイツの公国領主は違う。
石棺に置かれた夫妻はお互いの顔を見詰め合っているのだ。

見つめあった姿で、
描かれるのを望んだのはどちらどろうか?
どちらかが亡くなって、年月が過ぎる。
残されたほうが亡くなるときに望んだ姿だろうか?
この壁が話せたら と歴史的な建物にはよく書かれているが、
石棺の像が話せたら、
どんな物語を語るのだろう。

この美術館は展示の方法に現代的センスを恐れずに取り入れる。
アレッと思う斬新なオブジェやデザイン、
照明が歴史の遺産になじんでいる。
数年前は
ベアトリクス・ポターの原画などは博物館の隅っこにそっけなく置かれていた。
数は少ないが、展示の方法が改善されたので見ごたえがある。
白黒の下書き、
ドイツで作られるピーターの縫いぐるみの価格の高さを揶揄するイラスト。
本の表紙のピーターやジャマイマ。
ピーターが書かれた本の表紙や菓子缶のふた。

よく知っている登場人物の生まれたての姿に接する楽しさ。
ベアトリクス・ポターのユーモアと純真さの中に毅然とした人柄が伝わる。

あと数日でロンドンの旅も終わり。
行きたいところは まだたくさんある。
地下鉄にもすっかり乗りなれた。

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もう見慣れた景色になってしまったものの多くが、数十年前、
ううん数年前に来たときもl
驚きでどきどきの連続だった。

今回はホテルも飛行場も地下鉄や汽車も
馴染んでいて、問題がなくなって
ふとした瞬間
札幌にいるのではと錯覚する。
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ベルギーに行ったとき
「アー私は海外旅行してる!」と感じて驚いた。

午後はハンプトンコートへ。
ウォータールー駅からサウスイースタン鉄道にのり約40分で到着。
テームズ川にかかるハンプトンコート橋を渡るとすぐ。
ヘンリー8世の部下が贅を凝らして建てた城だったが、王様が気に入って召上げた。
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ヘンリー8世は当時60数城を持っていて、それぞれの城に滞在するたびに部下や海外の公使が訪問して、時には3-4千人が滞在することもあったという。
宮廷が移動したのはその辺の食べ物を食べつくしてしまうのも一因であったという。
宮廷ではその食料を調達するのが大切な仕事で、狩をしては野生の動物を食卓に乗せていた。
食事というと基本的には肉。
多量の料理には茹でるのが一番効率が良かった。
大釜でどんどん肉を茹で上げて食卓に提供した。
油で焼いたり、火に炙ったりも。
でも、宗教的な理由で、肉食が出来ない日もあった。
金曜日は魚を食べなければならない日で、大量に仕入れ、または城内の池で飼っていた。
時には川獺などを魚と称して食べていたらしい。
チューダー朝の台所が再現されていて
実際当時食べられていた野菜の実物、肉や魚の模型が置かれている。
調理が行われていたという炭の暖炉には実際の炭が燃やされ、暖かい。

非常な数のパイ料理が行われていた。
パイは数百人の人に食事を提供するための食器であったという。
中の料理を食べたらパイ皮は捨てていたという。
なるほど、いっぺんにそんなに食器はそろわないかも。

当時は王様の食事風景は、
公的な仕事で、王様は宮廷で人気を保つために公衆の面前で食事をしたという。
王様の食事風景を見るのが、娯楽であったという。

ヘンリー8世は学問も良くし、武芸や運動にも長けて、決断力のある人物だった。
教皇の支配下から逃れ英国国教会を設立し、6人の后を娶った傑出した人物だと、どこへ行っても主人公扱いされる。
でも、この城と一番深い関係が有るだろう。
彼の狩場であり、5番目の王妃を不貞で捕まえ、命乞いの嘆願を聞き入れず処刑するためにロンドン塔に送り出した場所でもある。
(そのために、彼女の亡霊が現れる呪われた城といわれている。)

復元された庭がすばらしい。
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ヘンリー8世が住んだ16世紀以降も、
幾人もの王様が住み、そのたびに庭に手が加えられてきた。
それがこの10年ほど前に、ヘンリー8世の時代の庭に復元されたのだ。
古い図面や庭師のノート、地図や発掘された溝、や植物の種などで、
昔の庭を再現していく壮大なプロジェクトだったことが
庭についての展示パネルに詳しく書かれている。
徹底して調査して、時間をかけて再現した苦労がしのばれる。
現在も40人が庭で働いているという。
by endoms | 2008-08-29 07:38 | 自分の旅