ずっと前 英語学校で個人レッスンをしていた。
TOEFLや準1級のレッスン料は高い。
1時間7,500円ぐらい。
それをバカスカ 取る生徒がいた。
オーストラリアの高校を3年間で卒業して
オーストラリアの大学の入学試験準備のため
帰国して実家の旭川から札幌に通ってきていた。
日常英会話は相当うまい。
バイタリティーあふれる個性的な力のある人間。
しかし英語は読めない。単語を知らない。新聞すら読めない。
文法もアバウト。
耳はいいが
アカデミックな話は聞けない。
2時間連続の授業を相当数したが
伸悩んだ。
親の希望もあって高校からオーストラリアへ大学を卒業するまでいるはずだったのに
大学にはいれず再挑戦の勉強のため日本に帰国していた。
彼の場合は結局
伸び悩んだままオーストラリアに帰った。
そうなんだ。
若くして海外に留学すると
わからない言語の中に放り込まれて
千尋の谷に突き落とされた獅子の子のように
言葉の暗闇から
たくましく這い上がるために
言語でのきっちりした情報処理をやめる子がいる。
「もやもや」した60%ぐらいの理解で
うなづいたり
同意したり
流したり
そのうちに相槌の言葉は上達して
自分は十分にコミュニケーションできるような気がしてしまう。
結局、人のコミュニケーションは90%以上は非言語で行われるから
3年間この若さで海外の学校にも行って
理想的な言語習得環境のはずなのに
効果がない。
学習タイミングの悪さ
関わる教師
教育環境とニーズのずれ
本人のタイプなどの要因で
アカデミックな英語が出来ないままになってしまうことがある。
でも、それよりもっと切ない例もあった。
学習効果を期待せずアメリカに息子を送り出す親。
親も切ないのだろう。苦労した挙句の結論だろう。
子供を海外に棄てる。
ある社会的に成功した親の息子。
高校3年生。
金髪に派手な服装、姿勢は悪く、
声は消え入るような小ささ
斜めの尖った視線で他人をみる。
留学させられるのは
目の前から自分が消えてくれればいいと親が思っているから
「あんたなんて。。エイズにさえならなければいい。」
ともいわれたという。
親が期待して送り出したオーストラリア
それでも大変だった。
それに対して
親に失望されて追い出されるアメリカ
何も学ばず、長く頑張る強さもないかもしれない。
高額な個人レッスンを続けながらも
無力感を感じていた。