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通じないカタカナ英語



「通じないカタカナ英語」松本道弘著 株式会社DHC 2001年 360ページ

日本においてカタカナ語が英語の学習に弊害なのか、利点があるのかに関する論争は、英語関係の一般書や、英語教育の研究論文、学会発表などに多くみられる。本書の著者のようにカタカナ英語を排斥しようとする考えと、カタカナで既知の語は、英語でも理解と記憶が早いので、カタカナ語はうまく利用するべきだという立場である。

本書は約4000の日本人が間違って使いがちなカタカナ語を取り上げて、誤用と正用を示し、詳細な説明を加えたものである。本書の著者は、「初心者はカタカナ英語が正しい英語だと信じがちです。」(p12)といい、カタカナ英語への警鐘を鳴らす。文中では、読売新聞の「竹中経済財政担当相 ソフトな答弁 持論は一徹」という一面の見出しで使われている「ソフト」を取り上げて、腰の低いという意味で、He’s soft.といっても通じない。ウスノロ(stupid)なのかと誤解されかねない。すぐ人の言いなりになる甘い人をa soft touchというと言う。(p58)また、ストーカー(stalker)は英語では犯罪者を意味し、犯罪と認定されない嫌がらせの段階ではharassを使うという。(p50)

確かに、カタカナで記憶された単語を英語だと思いこむ傾向はある。2008年2月24日の実用英語検定試験準2級の2次面接委員をしたときに、ダンボール箱に入った食料品を車に積み込んでいる人を描写する問題があった。正解は「A woman puts a box in the car.」という単純なもので、箱の材質を答える必要はなかったが、受験者の半数ぐらいが、She put (carry)a bunball box in the car.のように答えていた。ダンボールは英語だと思っているのだ。私も、20年ぐらい前、アメリカでカリウムと言おうとして、カリアム?カーリウム?ケイリアム?といろいろ発音とアクセントを変えていってみたことがある。結局、化学記号を書いたら、「アー potassiumね!」と言われ、「あらー」っと思った。この時にはたちまち、カリウムは英語ではポッタシアムと覚えた。

本書の著者は、カタカナ語の中にも日本語として確立されたものもあり、すべてのカタカナ語を排斥すると困難な状況になると認める。しかし、通じないカタカナ語は誤解の元であり、品性に欠け、日本語の美観を損ない、日本語を侵略し、やがては日本文化の存在を脅かす類のものだと前書きに述べる。

しかし、英語教育の観点からは、カタカナ語が「がん細胞」のように日本語を侵略しいくかどうかは別問題となる。英語教育にとってカタカナ語は非常に強い見方である。たとえ、多くの間違いを含むとしても、カタカナ語のない状況での英語教育を考えたら鳥肌が立つ。

あるイタリア人女性と知り合うことでその思いは強くなった。私は2007年8月にエディンバラ大学のサマーコースをとった。週末のスコットランド旅行で修士号はイタリアで、パリのソルボンヌで博士号をとったイタリア人女性と親しくなった。フランス語はネイティブ並み、ギリシャ語とラテン語は高校で教えているという。でも、英語は去年から始めたという。ダンテの神曲、西洋哲学、教育、ミケランジェロの彫刻と絵画、ダビンチの謎と黄金率などを伝えたいのか、philosophy, pedagogy, proportion, symmetrical, divineなど一生懸命単語を探す。でも、日本人ならカタカナ語でも普通の人が知っているeasyとかonlyとかが出てこない。彼女はイタリア語には最近まで英語が入り込んでなかったという。

英語教育のためにはカタカナ語はあったほうがいい。なぜかと言うと、イタリア語以上に日本語は英語から遠い言語だから。初心者のクラスでessentialと言う単語を教える時、「肝心な、大切な」ですよ、と言うよりは、「ほら、エッセンシャル、TVで宣伝してるシャンプーよ。髪にとって大切で、肝心な成分が入っているのねー」と言うと、ストンとおぼえる。「アンブリーバボウは実はunbelievableでbelieve(信じる)+ able (出来る)+un(否定)よね。」「いつも行くコンビには convenience store。便利よねえー。」と説明すると学生は忘れない。カタカナ英語は初心者には理解の手がかりになる。英語と日本語のニュアンスの違いは最低限教え、排斥しないでうまく活用していくと良い。

本書の著者も、「カタカナ英語を今すぐ追放せよとアジるわけではない」(p254)、「悪質なカタカナ英語(parasitical katakana)を撲滅するのが、本書のparasiticide(寄生虫駆除剤、虫下し)である。かといって、カタカナ英語を完全になくする、アトピーが増える。」(p302)、「カタカナでおぼえるだけでなく、ついでにその周辺の単語を覚えてしまえば、英語も日本語も同時にのばすことが出来る」(p303)と言っていることからすると、「排斥」、「駆逐」と強い言葉を使いながらも、カタカナ英語の一定の効用は認めているのではないだろうか。

読んで、楽しめる本であるが、初心者には、薦めたくない。間違ってもいいから、カタカナ語を使ってもいいから、初心者は英語を発する事を学ぶべきであるからだ。



読んだ日 2008年1月
 
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by endoms | 2008-03-22 22:20 | ブックレビュー